日常への“ロング・ウォーク”

By dachio, 2005年8月14日



 

「21番に警告!3回目だ」

「おいあいつ、チケットをもらっちまうぞ」



 

S・キング先生すみません。

ホコ天の無い広島でこれは珍しい光景。8月6日の原爆の日。

平和公園の周辺は車両通行止めになる。60年目の記念式典が終わり、人々はまた日常に帰っていく。

5 Comments

  1. 蝿皇子 より:

    最近はピカドンという言葉もあまり聞きません
    ポケモンに出てきそうですね
    ピカチューの最終進化型ということでよろしく
    日本も核兵器を持つべきだという言葉を、最近よく聞きます
    ダメなものはダメという
    教師の理屈のようにそれを否定するだけでなく
    現実的にその是非を討議しなくてはならない時代に
    入りつつあると感じています
    生徒のままでいれば、教師の言う事を聞いて守っていればよかったのですけど
    哀しい事でありますが、まず自分の頭で考えるよう言わなくてはなりません

  2. だちお より:

    戦争は絶対いけないと思いました。
    という思考停止が長く続きすぎましたね。
    日本はなぜ戦争を始めたんだろう?ということが十分に教えられないまま60年が過ぎてしまいました。海外の教育現場に比べて圧倒的に遅れているところです

  3. 蝿皇子 より:

    JALの123便の番組を観て、死んだ人たち、その遺族たちの姿に胸が痛んだのですが、戦争はそうした人々をもう大量に作るわけで、良いわけが無い
    しかし扶桑社の教科書は、何故日本が戦争をしたのかを教えている数少ない教科書です
    それが、戦争を美化していると非難されるのは、さて、どういったことでしょうか
    当時の日本人がどんなことを思って戦争を賛美したか
    戦争に向かうのはどういった動きが政治経済にあるのか
    今学校の社会科で教える最も大事な事は、戦争を取り巻く問題では無いかと思うのです
    思考停止は無明です
    だちをさんたちの手は
    この闇に光を投じる事ができます

  4. 蝿皇子 より:

    あ、戦争における憎悪の連鎖に関してもね
    人類の最大の課題は、憎悪の連鎖をいかに断ち切ることなんだという事
    これを教えないで何が教育か?
    でも日本は、殺しあった者同士でも、条件が変ると団結できる時代があった
    ヨーロッパでもそうした時期がある
    相手の強さに敬意を払い、負けは部門の習いとする潔さ
    あ、これは教育で教えるとやばいか

  5. だちお より:

    60年たっていまだに議論がつきないということに、これまでの議論形式に大きな欠陥があったのではと思います。
    「討論」というスタイルでは、主張の裏付けが明確になされないまま往々にしてパフォーマンスとガス抜きで終わってしまう。それはテレビでも雑誌媒体でもあまり変わりません。
    新しいメディアをうまく問題解決の手段として使えないものかと思うのですが。

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